奥村伝説

初めから持っている男

そもそも奥村と競馬との出会いは、今を遡る約40年前。もう、時効なので話せるが奥村が高校2年生の夏休みであった。夜間の警備員のアルバイトで、道路の交通誘導をやっていたとき、ちょうど給料日の朝に先輩社員から声をかけられた。「お前、競馬やったことあるか?」

 良くしてくれた先輩社員だったので素直に「ありません」と答えた。すると「だったらこれから後楽園へ行かないか。競馬は熱いぞ」先輩社員は徹夜明けですすけた顔をしながらそう言って笑った。財布には1か月分のアルバイト代、数万円が入って暖かい。時計を見ると朝の8時半である。ここから後楽園まではJRで約40分。10時スタートの第1レースから競馬を始めるにはピッタリの時間である。断る理由は何もなかった。そして二人は後楽園の場外馬券売り場(=ウインズ後楽園)へ向かった。

 

後楽園に着くと先輩社員は迷わず専門紙「一馬」買った。奥村も同じように「一馬」を買おうとすると先輩社員から「お前は違う専門紙を買え」と言われた。なぜかと疑問に思ったがあえて口に出して聞くことはなかった。あとで先輩社員に理由を尋ねたところ、違う専門家の予想や評価を見るためだという。奥村は先輩社員の言葉に素直にしたがい「勝馬」を買った。そして先輩社員から馬柱の見方を教えてもらった。予想をするに当たり馬柱の意味は理解したもののどの情報をどのように評価したらよいのか、まったくのど素人にわかるわけもない。当時の馬券の種類は「単勝式」「複勝式」「連勝式」の3種類のみである。したがって多くの競馬ファンは連勝式(=現在の枠番連勝式)を買っていた。第1レースは結果的には勝馬の本誌予想を上から3点2千円ずつ買って千円前後の枠連が的中した。6千円が2分も経たずに2万円に化けたのである。第1レースを的中したことで気が楽になった奥村は、そのあとも勝馬の本誌予想を中心に3〜4点で馬券を買い続けた。そしてメインレースまで11レースすべてを的中させたのだ。

先輩社員はこの時点で給料を半分に減らして顔が引きつっていた。ビギナーズラックと言ってしまえばそれだけだが、奥村は何もわからず予想を立ててアルバイト代はすでに3倍を超えていた。「こんなに楽な世界があるのか」最終レースは欲をかいて大穴を狙って外してしまったものの、人生初の競馬体験は12レース中、11レースを的中。1か月分のアルバイト代の2倍を稼ぎ出す大勝利に終わった。その後は、もちろん本誌予想だけでこ勝ち続けられるほど甘い世界ではない。その後、大いに負け続け、負けるたびにその悔しさをバネにして競馬の研究に没頭、やがて情報処理のノウハウを獲得した結果、経常的に利益の出せる馬券購入の方法をいくつも発見することになる。しかし最初から準パーフェクトというところがやはり何かを持っている男なのだろう。

 

 

最後の1000円からプラス700万円の大逆襲

 

持ってると言えば、奥村がマスコミで注目されていた今から約25年前。これももう時効だから言える話だが、六本木のカジノで伝説となったすごいことをやらかしたことがあった。奥村は当時、仕事柄(?)競馬以外のほとんどのギャンブルも得意としていた。特にカジノのバカラには凝っていて、赤坂・六本木・新宿のカジノで時間があればバカラに興じていた。当時のカジノは表向きはゲームセンターのようにチップを預けたり、景品と交換したりしていたが、裏ではパチンコが換金できるのと同様にどの店でもお金に払い戻すことができた。もし換金できないなら、一晩で何百万円もお金を賭ける客がいるわけがない。

バカラというゲームはディーラーがプレイヤーサイドとバンカーサイドに2枚から3枚のカードを配る。その合計数の下一桁の数字がどちらのサイドが大きいのかを予想するゲームである。プレイヤーの方が大きいと思えば、プレイヤーサイドにチップを張ればよい。的中すればチップは倍になって返ってくる。外れれば賭けたチップは没収される。(ただし、バンカーサイドが勝ったときは、コミッションとして店に賭け金の5%を支払う)細かなルールはいろいろあるが、単純に言えばそれだけのゲームである。したがって1回の勝率はほぼ50%である。ただ、現実には勝率50%にも関わらず、5回や10回連続して当たることも外すことも起こり得る。そしてバカラ台に座る客は、賭け金の大小で振り分けている。たとえばプレイヤーサイドに千円張ったお客さんが5人いて、バンカーサイドに10万円張ったお客さんが2人いた場合、プレイヤーサイドは合計5千円、バンカーサイドは合計20万円が張られたことになる。もし、プレイヤーサイドが買った場合は、バンカーサイドの賭け金から勝者に5千円を支払うことは容易だが、バンカーサイドが買ったときは、20万円を支払うためにはお店が19万5千円を受けなければならない。これではバランスが取れなくなってしまうので、賭け金の大小でテーブルを分けることになる。テーブルの賭け金は概ねどこのカジノでも一番安いテーブルは、千円単位でお金を賭ける人の多いテーブル。次は1万円単位で賭ける人の多いテーブル。そして週末など不定期で、最低10万円以上でなければ賭けられないビックバカラが開催されている。ビックバカラでは金板と呼ばれる1枚10万円のチップを何十枚も重ねてお客さん同士が張り合うのだ。

 

当時の奥村は1万円単位のテーブルで普段はバカラをやりながら、ビックバカラが開催されると、店から連絡が来たときには、好んでよくビックバカラにも興じていた。

 

その日の奥村はいつものように行きつけの六本木のカジノからビックバカラの誘いを受けて、200万円の軍資金を持っていそいそと出かけて行った。ところがこの日はスタートから勘がさえず、1枚10万円のチップは瞬く間に減っていった。バカラの1勝負にかかる時間は2〜3分である。200万円では最低の10万円ずつかけても20回分しかない。10回の勝負を2勝8敗でいけば、単純に20〜30分で60万円が無くなる。どこかで勝負を賭けて、1回に40〜50万円賭けて失えば、ものの1時間で200万円は消えてしまう。そんな泥沼のような戦いに、今奥村ははまり込んでいた。奥村の持参した200万円はあっけなく底をついた。奥村は店の経営者を呼んで、50万円の借金を申し込んだ。社長は笑顔で応じて5枚の金板を奥村に渡した。奥村はその金板を1枚ずつ張っていったが、それもすぐに無くなってしまい。また、50万円の借金を申し込んだ。そんな借金も5回目になったとき、カジノの経営者は困惑した顔で口を開いた。「奥村さん、私は奥村さんを信用していないわけではないけど、奥村さんは今日は私の店で200万円遣っていただきました。そして店からは今、200万円貸し出しています。ここでまた50万円を貸し出すと貸し出しが250万円になって遣った金額を超えてしまいます。申し訳ありませんが、貸し出しはこれで最後にしてください」

 もっともな話である。奥村は黙ってうなずき最後の5枚の金板を受け取った。そして必死の思いで勝ち目の流れを分析して勘を働かせた。

 

ギャンブルの格言に「もうはまだ」という言葉がある。「もう変わるだろう」は結果としては「まだ変わらない」ことがほとんどという意味だ。プレイヤー、プレイヤー、プレイヤーとプレイヤーサイドが6回続いて勝ったとする。もうバンカーが出るだろうと思ってバンカーに賭けると、まだプレイヤーが続くのである。勝負の流れもそうだ。ギャンブルの必勝法に「ツイてないヤツの反対に張れ」というものがある。ツイている人のツキはいとも簡単に変わってしまうことがあるが、ツイていない人の流れはなかなか変えることができない。このテーブルでもほとんどの客は奥村が張るとその反対サイドに賭けている。まさに最悪の状態である。

 

 それでも多少は粘ったものの最後の5枚の金板はあっけなく無くなり、手元にはコミッションの端数として千円のチップが3枚残っただけだった。

「もう、このテーブルでは張れない」

持参した200万円と借金が250万円で合計450万円の負け。千円のチップ3枚では1万円のテーブルで賭けることもできない。奥村は完全に脱力して意気消沈していた。頭の中は真っ白になり、投げやりな自分がチップもなくみじめにフロアをうろついていた。

 奥村は千円のチップを3枚持って、千円単位のテーブルに座った。席には若いアベックが一生懸命に勘を働かせて、千円のチップをたくさん積み重ねていた。奥村はそれを見るのも嫌そうにアベックと逆サイドにチップ1枚を置いた。外れた。そして次もまた同じようにアベックが張ったのを見て逆サイドに1枚を張った。外れた。そして次に最後の1枚をやけくそで張ろうとしたとき、アベックの男性が奥村に声をかけた。

「奥村さん、今日はツイてないですね。多分そっちは外しますよ。少しでも増やしてタクシー代ぐらい取って帰ったらいいんじゃないですか」

 奥村は少し我に返った。真っ白な世界から目の前の現実の景色がようやく認識できて来た。そして奥村はアベックが張ったサイドに同じように張った。勝った。千円が2千円になった。そして次もアベックと同じサイドに張った。2千円が4千円になった。そしてもう一度アベックと同じサイドに張った。勝った。4千円が8千円になった。奥村はここまできてようやく冷静になった。借金や賭け金の金額ではなく、目の前にある勝負に徹すること。自分がそこを見ていなかったことに気付いた。奥村はアベックにお礼を言ったあと、次の勝負では8枚のチップのうち3枚をアベックと逆側に張った。当たった。4連勝だ。奥村はこのテーブルで最後の千円を5万円まで増やすと、1万円単位のテーブルへ移動した。そこで2時間かけて5万円を37万円まで増やすと、ビックバカラのテーブルへ戻った。そこで10万円ずつ3回の勝負に賭けるつもりでいた。席に座ると一人の若者が紅潮した顔で奥村に声をかけてきた。

「奥村さん、今日はツイてないみたいですね。俺は絶好調でツイてますので俺に乗ってきてください。」

見ると彼の手元には金板が煙突のようにうず高く積まれ、それが5〜6本立っている。ざっと計算しても1千5〜6百万円はあるだろう。奥村は今のテーブルの流れが分からいので、しばらくはツイている若者に乗りながら、流れを読んでから自力で対処しようと考えた。冷静な判断である。その若者は確かに乗っていた概ね7勝3敗ぐらいのペースでは読みは当たっていた。ただ、さすがに疲れたのか、徐々に的中のペースは下がっていった。そこで奥村はこの若者にお礼を言って自力で勝負を続けることにした。この若者のおかげで37万円はいつしか100万円を超えている。息を吹き返した奥村は強かった。はぼ神がかり的なペースで的中するといつしか他の客は奥村が張ってから同じサイドに張るようになった。結果的に奥村は借金をすべて返済したのち、1千万円弱までチップを増やした。200万円の元手だから約700万円を儲けて店を後にした。奥村はそのときの経営者の苦々しい顔が今でも思い浮かぶという。この話を奥村に聞くと、千円のテーブルで我に返ったときに、憑きものが落ちたように冷静になり、その瞬間に流れが変わったのが分かったという。それからは流れが勢いをさらに増して、まったく負ける気がしなくなったとか。やはり持っている男は乗せるとすごいことをやってのける。

 

「競馬予想の神様に勝利!」

 

1992年、秋の天皇賞はいつにない盛り上がりを見せていた。それは重賞レースで1番人気に押されるような有力馬が数多く参戦して、まさにオールスター戦の様相を呈していたからだ。順に取り上げるなら、前年度の皐月賞・ダービーを制してここまで8戦7勝の1番人気「トーカイテイオー」。ここまで小倉記念・京都新聞杯・鳴尾記念と重賞を3勝して、のちにブロンズコレクターと言われた2番人気「ナイスネイチャ」。この年、2年連続でマイルチャンピオンシップを制して、読売マイラーズカップ・毎日王冠も勝った最強マイラー「ダイタクヘリオス」が3番人気。この年、金鯱賞・オールカマーを勝って、毎日王冠でも2着に来た4番人気「イクノディクタス」。そのほかにも「ヤマニングローバル」「ホワイトストーン」「ヌエボトウショウ」「メジロパーマー」「カリブソング」「トウショウファルコ」など、個性の強い実力馬が勢ぞろいして、ファンには堪えられないレースとなった。ただ、今取り上げた10頭の中に結果的に1着馬も2着馬も含まれていない。この難解なレースで奥村は、長年競馬の世界で予想の神様と言われた大川慶次郎さんと紙上対決を行うことになった。レース前日の夕刊フジの表紙と第2面を使って、相馬眼の大川対データの奥村という企画が行われたのだ。

 大川さんの本命馬はもちろん1番人気のトウカイテイオーだ。この年の春の天皇賞でメジロマックイーンに1・7秒の大差で、初めて5着に敗れたものの、3200メートルで掲示板に入ったことの方がある意味、実力と評価された。2000メートルに戻れば、このメンバーでも力は上と誰もが考えるだろう。そこから人気どころへ流せば、まずは大丈夫と多くの競馬ファンも考えた。奥村自身、大川さんの予想を見た時に、「ずるいよ、これなら取れるでしょう」と自分の予想をよそに一言漏らしていた。

 奥村は当時「バージョン8」という競馬予想本を出版していてそれがベストセラーになっていた。つまり、レースのメンバーや状況に応じて自分の予想を変えることができない。「バージョン8」で公開した予想のルールにしたがって機械的に予想を出していくしかなかったのだ。

奥村は一競馬ファンとして、馬柱を凝視して自分の主観も交えて多くの競馬ファンと同じように競馬予想をする。その結果と「バージョン8」の予想結果は多くの場合一致しない。圧倒的に「バージョン8」が勝利する。考えてみれば普通に予想をして勝てないからこそ、主観や思い込みに左右されない客観的な予想のルール作りをはじめ、その精度を上げて「バージョン8」を確立した。だから奥村が「バージョン8」と勝負して奥村が負けることは最初からわかっていたことだった。それでも多くの人に注目された紙上対決だから予想のルールを曲げてでも勝ちに行きたかったのが本音だった。

ただ、結果は奥村の思いとは違っていた。勝ったのは単勝34・2倍11番人気の「レッツゴーターキン」2着には単勝16・5倍5番人気の「ムービースター」、馬連は17220円の万馬券となった。そして奥村は、いや「バージョン8」はこの組み合わせを見事に的中させたのだ。

 なぜ、こんなことができるのか。人気順位で考えても11番人気―5番人気という組み合わせは容易には予想できない。もし現在のように馬単があれば、10万円を超える馬券になっていただろう。バージョン8の予想理論の根本は、量子論でいうところの“蓋然性”そしてフラクタル理論でいうところの“周期性”にある。「競馬では強い馬が必ず勝つ」と言ってのける人がいる。奥村は逆に「競馬は強い馬が常に勝つとは限らない」と断言する。

 例えば「ディープインパクト」は凱旋門賞の失格を除いて、通算13戦12勝2着1回の戦績を残している。生涯ただ1度の敗北は2005年の有馬記念でハーツクライにコンマ1秒差で敗れたのみである。一方の「ハーツクライ」は通算19戦5勝2着4回で国内のG1勝ちはこの有馬記念のみである。この有馬記念で敗れたとはいえ、ディープインパクトが馬の力としてハーツクライに勝っていることは誰が見ても明らかである。それでも時として強い馬が弱い馬に敗れてしまうので競馬である。であるなら、このレースではどれくらい強い馬が勝つ可能性が最も高いのか、或いは今日はどれくらいの強さの馬が勝つ回数の多いのか、それを予想するのが「バージョン8」という予想法だ。予想の根底として出走馬すべての能力評価を行う。その上で評価の高い馬を買い目とするのではなく、あえて評価の低い馬が馬券の買い目になることが数多くある。だから単勝11番人気と単勝5番人気の馬が買い目に抽出されて万馬券をゲットできることにつながるのだ。奥村は本当によくこんな予想法を考えたものだ。



 



奥村俊一

(奥村俊一・塩沢亜弓さん)

(奥村俊一・塩沢亜弓さん)

(奥村俊一・早瀬久美さん・小口もな美さん)

(奥村俊一・小口もな美さん)

(奥村俊一・スザンヌさん)

(奥村俊一・スザンヌさん)

(ビックスモールンさん・奥村俊一・スザンヌさん

(奥村俊一・HEY!たくちゃん)

(奥村俊一・HEY!たくちゃん)

(アシスタント・山本晋也監督・奥村俊一)

(アシスタント・山本晋也監督・奥村俊一)
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